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園芸文化賞Award

1992(平成4)年度 園芸文化賞

内田熊一  洋らん栽培の普及とともに、わが国における観光農業の先駆けとして卓越した功績を残された。昭和43年に農事組合法人「堂ヶ島洋らんセンター」を設立し、洋らん栽培を経営的に確立した。特に、観光農業としての新しい形態を打ち出し、観光客を対象にした施設を開設したことで、国内外から注目を集めた。この取り組みは、園芸を観光資源として活用する先駆的な事例となり、後に多くの観光農業のモデルとなった。また、氏は洋らんの栽培を趣味から大衆化へと移行させる先駆者としても活躍し、産業としての地位を確立した。
松本壹  野菜と花卉の研究及び普及において数々の業績を挙げ、都市農業の発展に大きく貢献された。戦後、東京野菜の産地化に尽力し、ダイコンやキュウリなどの育種技術を向上させ、都市型農業の基盤を築いた。また、花き園芸技術の研究にも取り組み、レックスベゴニアの斑入り発現やフリージアの促成栽培技術など、革新的な研究成果を数多く発表した。さらに、退職後は練馬農協園芸センターにおいて、都市住民に対する花と緑の啓蒙活動を積極的に行い、園芸センターの技術指導員として大きな役割を果たした。都市農業の重要性を広め、家庭菜園や園芸に対する市民の関心を高めた。都市農業の振興と花卉文化の普及に尽力された。
村田ユリ  人と植物を愛し、激動の時代を生き抜きながら園芸文化の向上に尽力された。特に、フラワーアレンジメントの分野で日本初の留学を果たし、シカゴのアメリカンフローラルアートスクールで学んだ後、国内での創造的な花の世界を広めた。また、東洋園芸株式会社を設立し、浅間山荘では高原植物や地被植物の栽培に取り組むなど、植物の生産と利用に関する関心も高く、国内外から多くの植物を導入した。さらに、皇太子ご教育係として、美智子妃殿下の植物装飾のご相談役を務めるなど、国の行事にも深く関与し、園芸文化の発展に大きな影響を与えた。
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