浅田藤雄 |
昭和35年に「花卉園芸新聞」を創刊し、主幹として日本の花き園芸業界の発展を支えてこられた。同紙は40年代以降、共選共販の推進、中央卸売市場花き部の開設、消費拡大のための生産者・市場・販売団体の連携を提唱し、約700回にわたる社説や講演活動を通じて啓蒙に努めた。また、園芸文化史的な記事や専門的著書を多数執筆し、知見を広く共有することで、花き文化の普及に大きく寄与。特に、戦後の混乱期から業界の基盤整備を牽引し、誠実で中立的な報道を継続してきた姿勢は、業界関係者から高く評価されている。 |
伊藤孝重 |
恵那・中津川地区におけるシクラメン種苗生産地の形成において、先駆的な役割を果たされた。大正7年にシクラメンの栽培を始め、長年の試行錯誤と熱心な研究により、地域内でシクラメン栽培と採種法を伝授。これが基盤となり、恵那・中津川地区は日本国内でシクラメン栽培の中心地として発展した。また、戦時中でも栽培を続け、戦後は再びシクラメン生産に情熱を注ぎ、地域の農家との協力により、現在のシクラメン生産地の礎を築かれた。その後、全国はもちろん、台湾、韓国、ブラジル、アルゼンチンなどに販路を広げ、同地区のシクラメンのシェアは60%に達した。伊藤氏の情熱と努力が、我が国のシクラメン栽培における発展に不可欠であった。
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佐藤友義 |
平成2年に開催された「EXPO’90 国際花と緑の博覧会」において、関東造園建設協同組合の理事長として「むさしの山野草園・臨泉峯」を出展し、見事グランプリを獲得された。この出展は、組合員の総意を結集し、日本の伝統的な自然美を再現したもので、多くの来場者に深い感銘を与えた。武蔵野丘陵の雑木林をモデルに、関東地方自生のコナラやクヌギなどの樹木や山野草をふんだんに活用し、自然の素材を活かした造園技術が高く評価された。花博後も、この作品は大阪市に保存され、季節ごとの手入れや管理を自ら引き受けるなど、氏の献身的な姿勢が際立っている。本活動を通じ、造園業界と園芸文化の普及発展に多大な貢献をされた功績が高く評価されている。 |