浅利政俊 |
桜の品種収集と保存、新品種の作出に尽力され、日本の園芸文化発展に大きく貢献した。戦後散逸した約160品種を収集・保存し、松前町に桜見本園を造成。その成果により、松前を全国有数の桜の名所に育て上げた。さらに、紅豊、静香、紅筆など桜の新品種104種を開発し、既存品種にはなかった特徴を持つ優良品種を数多く生み出した。これらの成果は、技術的な研究にとどまらず、桜保存子供会を通じた次世代への啓発活動にも及び、自然保護と情操教育を結びつけた取り組みとして高く評価される。 |
瀬川弥太郎 |
観葉植物の導入と普及において指導的役割を果たし、産地形成や生産者の指導を通じて、この分野の発展に多大な貢献をされた。京都大学農学部に長年奉職し、特に附属古曽部園芸場および亜熱帯植物実験所の設立・運営に尽力。その活動は、熱帯・亜熱帯植物の研究と普及に広く影響を及ぼした。さらに、観葉植物だけでなくサボテンの収集、生産化、普及にも力を注ぎ、国内外における流通と人気の拡大に寄与。また、多くの若手研究者や生産者を指導し、園芸界の人材育成にも貢献されている。日本の園芸文化を深め、世界に広める原動力となった。 |
冨樫誠 |
世界各地での植物探険収集を通じて、新たな遺伝因子の導入と植物知識の普及に多大な貢献をされた。東大ヒマラヤ植物調査隊への参加やアジア・アフリカ・南北アメリカなど広範な地域での植物調査を行い、国内外の植物学研究に貴重な資料を提供されました。特に、皇居土手の白いヒガンバナの植栽に象徴されるように、収集した植物を日本の文化的景観の一部とし、園芸文化の豊かさを広めたことは特筆に値する。また、多くの植物が研究機関や植物園に寄贈されることで、日本の園芸研究や教育にも重要な役割を果たした。 |
村田久造 |
我が国古来の盆栽文化の伝統を継承し、卓越した技術と深い洞察をもってその発展に寄与した。氏は盆栽界の先達として、組織作りや後進の育成に尽力し、多くの優れた技術者を輩出された。また、日本盆栽の魅力を世界に紹介し、海外での普及に大きく貢献された功績は特筆に値する。氏は、盆栽の美を追求しながらも、自然の真を抽出してそのエッセンスを表現する独自の流儀を確立。さらに、盆栽用具や鉢の開発、新樹種の導入など、革新的な取り組みを次々と行い、盆栽界の発展に寄与された。その作品は国内外で高い評価を受け、今日では日本文化を象徴する存在として世界に広く知られている。 |