柴田一男 |
園芸資材の開発と普及を通じ、家庭園芸の発展に多大な貢献をした。父祖伝来の園芸器具製造販売業を継承し、日本人の体格や生活様式に合う資材の改良と新製品の開発を積極的に推進。戦後には家庭菜園用資材や室内温室の先駆的な提供を行い、多くの家庭に園芸の喜びを広めた。昭和29年には柴田商店を設立し、ビニールを活用した園芸用品の開発や芝刈機、動力噴霧器などの普及に努めた。その後、昭和35年に設立した柴田刃物株式会社を通じ、インテリア園芸用品やハイドロカルチャー関連製品の販売にも力を注ぎ、園芸資材業界の発展を支える指導的役割を果たした。日本の家庭園芸文化の普及と定着に大きく寄与されたことが評価される。 |
鈴木省三 |
バラ栽培の普及と品種改良において多大な功績を残した。昭和12年に「とどろきばら園」を創立して以来、バラの育種家として世界的に認められる存在となり、昭和38年にはドイツ・ハンブルクのコンクールで「天の川」が銅賞を受賞。その後も、イタリア・ローマ国際バラコンクールで「乾杯」が最優秀賞金賞を受賞するなど、数多くの品種が国内外で高く評価されている。バラの普及にも尽力し、昭和23年に日本バラ会を設立、混乱期の中で開催した銀座での第一回バラ展は復興への希望となった。また、昭和32年には京成電鉄谷津ばら園の設計と植栽を手がけ、バラ文化の発展に貢献。さらに、種苗法制定にも関与し、植物育種者の権利保護に尽力した。バラ愛好家や園芸界全体に大きな影響を与え続けた。 |
西部由太郎 |
花き育種において、特にペチュニアの品種改良で多大な功績を残された。昭和4年に東京農業大学を卒業後、坂田商会に入社し、茅ケ崎試験場で自家生産種子や外国産新品種の試作、草花の品種改良に従事。特にペチュニアの改良に注力し、昭和34年から42年の間に、オールアメリカンセレクションでペチュニア部門の金、銀、銅賞を計8回受賞し、世界的に評価の高いサカタのペチュニアの基礎を築いた。また、クレマチス、カーネーション、パンジー、プリムラ類の育種でも多くの優れた品種を発表し、日本の園芸界に大きな貢献を果たした。退職後も育種活動を続け、後進の育成に努めている。 |
吉江清朗 |
各種園芸植物の育種、とりわけ球根ベゴニアの品種改良と普及栽培において顕著な功績を挙げられた。青年期に宮崎高等農林学校で学び、卒業後は植物調査や栽培指導に従事。戦時中は資源研究所主任研究員として重要な調査研究を行い、戦後も酪農や果樹、蔬菜の分野で品種改良や栽培技術の向上に寄与された。園芸分野では、球根ベゴニアのほか、シュウカイドウの交配種やシャコバサボテン、ギボウシ、早咲性の花菖蒲など、多彩な植物の育種に取り組み、卓越した成果を残した。また、びわ湖バレイや天城ベゴニアガーデンなど、植物園の設立と運営に尽力し、園芸文化の発展に多大な貢献をされた。 |