小松崎英男 |
長年にわたり園芸雑誌および図書の編集・出版を通じて、日本の園芸界の振興と発展に多大な貢献した。昭和21年に「農耕と園芸」を創刊して編集長を務め、園芸技術や情報の普及に尽力。さらに昭和37年には「ガーデンライフ」を創刊し、家庭園芸の普及と「花の雑誌」文化の礎を築いた。氏の編集方針は、園芸の実践的技術や最新情報をわかりやすく提供することにあり、これにより多くの読者が園芸の楽しさと可能性を学ぶ機会を得た。また、農業用ビニールの普及促進にも尽力し、現代のビニール園芸の発展に大きく寄与した。その先見性と実行力、さらに茨城の「水戸っぽ」とも称される明るく親しみやすい人柄で、幅広い園芸愛好者や専門家の信頼を得た。 |
藤英男 |
花卉栽培技術の開発・普及をはじめ、温室園芸の産地形成や生産者組織の育成、さらに花き市場の開設と流通の近代化を推進するなど、園芸団体の指導者として日本の花き産業の発展に多大な貢献をした。昭和初期、福岡県における花卉栽培の黎明期に温室を建設し、シクラメンやチューリップ、キクの新技術を導入。さらに遮光栽培や電照栽培などの先進的な技術を開発し、地域全体の花卉園芸の基盤を築いた。また、福岡県初の温室団地形成を主導し、県内外への流通拡大に尽力した。組織面では、福岡花き園芸組合や福岡県花き園芸協同組合連合会の設立をはじめ、日本花き生産協会や日本生花市場協会などの全国規模の団体でも指導的役割を果たし、生産者組織の強化と流通改革を牽引した。 |
中村隆吉 |
各種球根植物および宿根草の産地形成や輸出振興に尽力されるとともに、海外からの品種導入や改良を通じて、日本の園芸界の発展に大きく貢献した。愛知県知多半島のラナンキュラスやアネモネ、新潟県のスズランなど、地域ごとの特性を活かした栽培指導により、新たな産地を築いた。また、神奈川県を拠点に、多様な植物の試作や改良を推進し、特にダリアやボケの育種では国内外で高い評価を受けた。さらに、グラジオラスやスイセンなど、海外から多くの球根植物を紹介し、これらを日本の土壌に適応させた栽培技術の普及にも尽力。新羽地域では生産者の育成と産業基盤の整備に貢献し、地域振興の礎を築いた。 |
堀江道彦 |
60年にわたる長きにわたり、園芸の啓蒙普及と技術指導に尽力し、日本の園芸界の基礎作りに多大な貢献を果した。大阪府立農事試験場での研修を皮切りに、宝塚植物園や万葉植物園など数々の植物園建設に携わり、その後も大阪市役所や東京都の植物園で植物文化の発展に寄与。特に、東京都神代植物公園では開園準備から運営まで中心的役割を果たし、機関誌『植物春秋』の編集にも尽力。発刊20年以上にわたり、豊かな知識と文章力で園芸愛好家の啓蒙を続けられた。また、園芸文化協会の事務局を約30年にわたり無報酬で支え、著書15冊を執筆するなど、園芸文化の普及と指導に注力した。 |