岡本勘治郎 |
わが国に洋種のバラ栽培が、ようやくたかまってきた大正末期に、バラ栽培技術の研究と品種の収集に着手し、以来54年間、一貫してその研究活動を継続し、わが国バラ栽培の基礎の確立と普及、発展に貢献した。この間、昭和3年には発起人として「大日本ばら会」の設立に尽力し、設立後は理事長として活躍する一方、ヨーロッパに留学し文献や資料を収集し、西欧のバラの新品種と栽培技術を導入紹介し、戦前すでに千余種の品種と50以上の原種を栽培していた。昭和28年には京阪ひらかたパークバラ苑開設の中心となって活躍、世界のバラ品種を収集、栽培展示するほか、多くの優品を育成してわが国バラ園芸の水準を高め、園芸文化の向上に寄与された。
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久保田好雄 |
大正4年、妙華園をふり出しに、以来64年間、切花栽培と鉢花生産に從事されたが、常に研究心旺盛で、多くの栽培新技術を考案し、いく多の新品種を育成された。中でもクレマチス「白王冠」、「朝霞」、「天晴」などは、優秀として広く世界に普及し、また、近年育成されたリンドウ「新キリシマ」は、夏から秋の小鉢物として、近郊鉢物生産者はもちろん、一般家庭の花好きに、なくてはならないものとなっている。このほか、ミヤマキリシマ「本紅」、「乙女の舞」、ホトトギス「天の川」、ヒメバラ「雪姫」、「桜姫」など、ユニークな育成種が多い。また、クレマチスの大量生産方武や、山草鉢花の大量生産システムの開発などをとおして、わが国園芸文化の向上発展に寄与された。
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中村文治郎 |
農家の収入向上のため副業としてフクジュソウに着目し、祖父を助けてその品種の収集と改良、増殖に努力し、昭和初期にはこの地方を全国一のフクジュソウ産地に成長させた。第二次世界大戦中、全国的に伝統的な園芸植物が失われた中にあって、氏はフクジュソウの品種保存に努力し、ほとんどその全部を維持し、再び産業的軌道に乗せたばかりでなく、さらに品種の育成にとりくみ、多くの新品種を育成中で、その結果が期待されている。また1963年と1973年には、西独ハンブルグ市の国際園芸造園博にフクジュソウを出品、1973年には最高賞の金メダルを獲得して、わが国の園芸文化の水準の高さを海外に紹介した。
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