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園芸文化 第一号 会報発刊に際して 

     社団法人文化協会長 島津忠重  昭和23年8月25日発刊

  天恵の気候風土と、植物を愛好する国民性に依り、我国の園芸は既に徳川時代から、優れた歩みを続け、サクラ、ツバキ、キク、ハナショウブ、ボタン、サクラソウ等の優良品種が数多作出されて居るのは申すまでもなく、之に加うるに欧米から次々に導入された品種も独特の技術に依って、異常な発達を遂げて来て居り、世界の水準を凌駕するものも少からず栽培されていたのであるが、それにも拘らず、之を統一して組織立て、科学的に進歩発達させ普及させる機関が全く欠けて居り、何等見るべきものがない状態であって常に遺憾に思っていたのである。 

 自分は大正十年と昭和四年の二回渡英して、約三年宛滞在していたが、その滞英中は幸い英国園芸芸協会(RoyalHorticulturalSociety)の役員に推薦されていたので、審さにその組織を知る事が出来たが、その規模が大きく内容の優れているのに驚異の眼を見はった事であつた。 

 例えば春秋二回の大品評会には、タイムス始め各新聞に豫告は勿論、期中の報道が大きく取扱はれ、その第一日は皇帝、皇后を始め皇族方も臨場されての御言葉等を残して行かれる。午後は会員のみが入場を許され、第二日三日は高価な入場料を拂て一般の人が参観すると云う次第、從て協会そのものは財産も非常にあり、附属の試験場を持ち、協会の大ホールを有し、図書館まで持ていて、会員も数萬名に及んでいる。我国では一寸出来そうにもない大規模なもので之故に斯界の進歩發達に大きな貢献が出来てゆくのである。即ちサットンやカーターの種子、サンダーやチャレスウーォスの蘭等、世界の最高峯である種苗が、次々に作り出され海外に迄広く売り出されてゆく原動力の役割をしているとも云い得るのである。 

 勿論その規模は望むべくもないが、我にもかかる組織を持った機関が出来て、国内の園芸を組織立て、進歩向上普及に役立つ事が出来たならと深く感じた事であった。 

 偶ゝ昭和十八年の春に、林理事長を始め故石原、大澤、牟田の諸君や現在協会の役員をしている人々の間にこの計画が具體的に進められ、社団法人園芸文化協会の設立を見るに至ったが、その後の苛烈な戦禍や終戦後の世相から、未だに思はしい活動も致しかねているが、一歩一歩が強く理想に向って進みつつあり、今度その一つの表れとして、会報が発刊される事になったのは、誠に斯界の爲慶びに堪えぬ次第である。 

 資材その他に不自由な今日、理想的な創刊号が出せないのは残念であるが、会員各位も之を諒とされて、二号、三号と更によりよきがされてゆく様に、御協力の程をお願い申上る次第である。

 (文字は旧字から新字に変更)

(原文)
園芸文化 第一号 会報発刊に際して 社団法人文化協会長 島津忠重 昭和23年8月25日


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